2013年10月22日

精力剤は未来も健在。[ブレードランナー]

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『ブレードランナー』
製作:1982年・アメリカ/香港
監督:リドリー・スコット(『エイリアン』『グラディエーター』)
脚本:ハンプトン・ファンチャー、デヴィッド・ピープルズ(『許されざる者』『12モンキーズ』)
出演:ハリソン・フォード、ルトガー・ハウアー、ショーン・ヤング
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最近読んでいる本とか、映画批評とか、特集番組とか、諸々、
相方と私が敬愛してやまない方々が、
何度も引き合いに出している映画「ブレードランナー」。

タイトルだけは超有名ですが、かすりもせずに30年。
相方も私も、観ようとするタイミングで、いつも睡魔が襲ってくるという
何だか呪われた風な感じでしたが、ようやく観ました。

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2019年、地球環境の悪化により人類の大半は宇宙に移住し、
地球に残った人々は人口過密の高層ビル群が立ち並ぶ都市部での生活を強いられていた。
宇宙開拓の前線では遺伝子工学により開発された「レプリカント」と呼ばれる人造人間が、
奴隷として過酷な作業に従事していた。
レプリカントは、外見上は本物の人間と全く見分けがつかないが、
過去の人生経験が無いために「感情移入」する能力が欠如していた。
ところが製造から数年経てば彼らにも感情が芽生え、人間に反旗を翻す事態にまで発展した。
しばしば反乱を起こし人間社会に紛れ込む彼等を「処刑」するために結成されたのが、
専任捜査官“ブレードランナー”である。
タイレル社が開発した最新レプリカント"ネクサス6型"の男女6名が人間を殺害し脱走、
シャトルを奪い、密かに地球に帰還し潜伏していた。
人間そっくりなレプリカントを処刑するという自らの職に疑問を抱き、
ブレードランナーをリタイアしていたデッカードだったが、
その優秀な能力ゆえに元上司ブライアントから現場復帰を強要される。
捜査のためにレプリカントの開発者であるタイレル博士に面会に行くが、
タイレルの秘書レイチェルの謎めいた魅力に惹かれていく。
レプリカントを狩ってゆくデッカードだが、
やがて最後に残った脱走グループのリーダーであるバッティとの対決の中で、
彼らが地球に来た真の目的を知る事になる。
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今回も、最初の方でウトウトしていた私。
何でだろうね、ハリソン・フォードが多分ハマらないんだろな、個人的に。

この考察については、各所で色々と展開しているのは知っていて、
それを改めて論じようと思うほど、私には響きませんでした。


私達が観賞したバージョンは「ファイナル・カット」と言って、
監督のリドリー・スコット自らが再編集したバージョンなのだそうで、
だから、つっこむべきところもなく、一番シンプルな形で完成されていたのではないか、と。

相方は好意的な見方でしたが、個人的嗜好もやはり大きいのかなと。
正直な感想としては、面白いんだろうけど、私には合わなかった。
なので、世間で論じられている内容についてはwikipediaを読んでもらうほうがいいと思います。
長々と書く気にならなくてー。。。(じゃあブログなんか書くなよ…。)


私の浅い理解としては、レプリカントが訴えたかったのは死に対する恐怖であり、
人間に対しての反抗心ではなかったんだよう!!!ということは分かりました。
そっちの方が何だか人間臭い考え方だし、
レプリに芽生えた感情をより濃く現していたように思います。

対して、人間の方は、結構機械的に物事を考えていて。
特にデッカードに言えることだったんですが、私には、ちょっと彼の心情が読み取れなかった。
何を考えて行動しているのか、さーっぱり。
どうしてレイチェルに惹かれたのか、とかもさーっぱり。
まあ、感情が読み取れないからこそ、
"デッカードもレプリじゃないか"みたいな説も生まれたのかもしれないし、
私も一瞬考えたけど、そうじゃないような気がするなあ。
とはいえ、ここがこうだから違う!!!というような根拠もない感覚的な感想なので、
深く論じるのは止めておきます。

前述した、専任捜査官はじめレプリカントを追う側である"人間"の機械的さや、
他(ここではレプリカントを指しますが)を排除しようとする文化などは、
発展し過ぎて失われていく人間らしさを危惧し、
人間という存在をちょっと皮肉っている印象も受けました。


本作は近未来のお話ですが、
リドリー・スコットは、未来をこう想像したのかなあ。
2019年なんてすぐそこですが、
20〜30年前の映画の''未来感''て、
監督の想像力が存分に表現されていて、
今観ると、すごく興味深いです。



名作だ名作だと評されている作品なので、期待値が高かった、というのはあると思いますが、
如何せん、私のニガテなタイプの映画でした。
ハリソン・フォード然り、SF然り。
響く人には響くんだろうなあ。と思うと、自分の映画見る目の無さが悔やまれるとともに、
今後、名作と評されている作品に手を出すのが、聊か怖い気もしますね。


まあ、いいよ。だって勝手な覚書ブログだものー。(開き直りっ。)

なので、おすすめだとか何だとかは言えませんので、
観ましたー、ということだけ、備忘録として残します。
posted by tanako at 23:28| Comment(0) | クラシック洋画キャンペーン。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月07日

小さくない、悪戯。[小さな悪の華]

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『小さな悪の華』
製作:1970年・フランス
監督:ジョエル・セリア
脚本:ジョエル・セリア
出演:カトリーヌ・ヴァジュネール、ジャンヌ・グーピル 他
【公開時コピー】
「地獄でも、天国でもいい、未知の世界が見たいの!
悪の楽しさにしびれ 罪を生きがいにし 15才の少女ふたりは 身体に火をつけた」
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『悪の華』というマンガがあります。
これと同じく、ボードレールの詩集『悪の華』から邦題をつけたと思われますが、
原題は『Mais ne nous delivrez pas du mal』で『悪から救わないで』というような意味のようです。
(翻訳サイトいくつか比較したんだけど、全部意味がしっくり来ず。違ったらすみません。)

モチーフとなったのは、女流作家アン・ペリーが起こした過去の殺人事件だそうで、
こちらはピーター・ジャクソン監督で『乙女の祈り』として製作されてます。
一緒に借りたのでこっちも観たいのだけど、取り急ぎ、町山さんの本で読んだ本作からの鑑賞。

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15歳の少女、黒髪のアンヌとブロンドのロールが主人公。
寄宿学校に通う二人はバカンスを利用し、
盗みや放火、また牧童を誘惑したり庭番の小鳥を殺害したり、
悪魔崇拝儀式を取り行うなどの残酷な行為を繰り返していた。
やがて二人の行為はエスカレートし、死の危険を孕んだ破滅的な終局へ向かっていく。
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2人の少女の危うい関係が描かれていますが、
どちらかと言うと、お互いへの思慕や恋愛感情よりも、
思春期の少女達がする大人ぶった遊び、そしてその延長線上に起こる悲劇、という印象。

『乙女の祈り』はまだ観ていないのだけど、そちらのあらすじと
アン・ペリーの殺人事件の概要を読んだ限りでは、そこが少し違うかな、と思った点です。
1970年のフランスでは、同性愛的な描写がアウトだったんでしょうか。
自国では上映禁止(製作国なのに…)、日本とアメリカでは上映されたそうです。


本作では、思春期の悪戯が、徐々にエスカレートします。
それは、彼女達から見れば、気に入らないからちょっと懲らしめてやろう的な、
どちらかと言うと、罪悪感の薄い行為です。

嫌いな寄宿舎の先生の同性愛をチクったり。
使用人の飼っている小鳥を殺したり。
襲われそうになった羊飼いの男性の家に放火したり。
最終的には、車が故障した旅行者男性を家に招きいれ、誘惑に乗ってきた途端に殺したり。
まあ、何というか、悪戯が過ぎた立派な犯罪行為です。

(ちなみに、"襲われそうに"の描写が結構生々しいです。だからダメだったのかな。余談。)

本作において、語られるのは思春期ゆえの危なっかしさではありますが、
私は、その主導権が黒髪のアンヌにあることで、
ある種、盲目的な巻き込まれ事故のようにも見えました。

起こした事件は全て、人目を惹く美少女であるロールを利用しているので、
大人たちを翻弄してするのはロールなのだけど、首謀者である悪女はアンヌの方かなと。
なので、結局のところ、アンヌの"何てつまらない日常!"という鬱憤が、
ロールの存在によって解消されたことに味を占めて、
単なる遊びだったはずのいたずらを、どんどんエスカレートさせたのかなと。
そう考えると、ロールはアホの子で、ただただ、盲目的にアンヌを好きだし、
主従的な関係こそ見えないものの、いいように使われているように見えました。主に体をね。

まあ、思春期の女子って、多かれ少なかれ、上下関係はきっとあるものだよね。
それをそれとして認識してないだけで。
その危うさも思春期の描写として、効果的だなと思いました。

最後の事件が露呈したとき、アンヌとロールは、
お互いが引き離されることを嫌がり(ここでも罪悪感じゃなく)、とある暴挙に出ます。
このシーンが、まあクライマックスで、衝撃的な展開だと思います。

学芸会の日。2人は詩の朗読を出し物として、舞台上に上がります。
そして朗読が始まるのですが、その内容は多分、
決して健全な少年少女が読み上げて微笑ましいものではなかったかなと。
(ゴメンナサイ。私はアホなので理解できませんでした。)

ただ、それを『可愛いわね〜。』とか言いながら見ている保護者達の描写は興味深かった。
舞台と観客席で、圧倒的に明確な区切りがあるんですよね。
舞台上で読み上げられている詩の意味は少女達の主張。悲痛な叫び。
そしてそれを聞きもせず、天使姿の衣装だけ見て満足している大人たち。
天使達が自ら行った土壇場の幕引き劇は、その境界を壊そうとする行動だったとも取れるかなと。

暗喩、とまではいかないかもしれないけれど、
低予算でチープな映像の中でも、考察すると色々と意味があるような気がして、
これはこれで面白かったかな、と思いました。


"思春期の少年少女"は非常に危うくて、
故に、ドラマチックにもなり得るので、題材となる作品は多い気がするし、個人的にも好きです。
発想が短絡的かつ極端で、善悪の区別がつかない。
罪の意識もないまま、深く考えずに突き進んでしまうその姿に、
昔も今も、大人たちは振り回されてしまうのだろうと思います。

とはいえ、危うさも度が過ぎると、自分とは別世界の人間として、
こうならなくて良かった、とも思えるような反面教師的な作品もあります。
本作はそっちだね。

悪戯も思い込みも程々に、平和が一番ですね。

観てから時間が経ったのと、観終わった後の感想として、
あまり印象に残らなかったので、無理矢理まとめました。
…フランス映画ニガテだなあ、私。

題材と過激描写に興味がある方は、過度に期待せずにどうぞ。
posted by tanako at 19:16| Comment(0) | クラシック洋画キャンペーン。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月14日

容赦なくバチを当てろ。[悪い種子]

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『悪い種子』
製作:1956年・アメリカ
監督:マーヴィン・ルロイ(『仮面の米国』『心の旅路』)
脚本:ジョン・リー・メイヒン(『白い砂』『我は海の子』)
出演:ナンシー・ケリー、パティ・マコーマック 他
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町山智浩さんの著書「トラウマ映画館」を読んで、一番見たくなった映画がコレです。
(次点は「フェーズW 戦慄!昆虫パニック」です(笑)。)

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ある少年が溺死するという事件が起きた。
クリスティーン(ケリー)は、少年の持っていた筈の金メダルを、
娘のローダ(マコーマック)の机の中に発見する。
ローダがメダル欲しさに少年を殺したのか?
そして、自分の中に殺人鬼の血が流れていることを知ったクリスティーンは、
ローダと共に無理心中を図るが……。
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1954年にウィリアム・マーチが発表した小説の舞台化作品を、
マーヴィン・ルロイ監督が映画化した作品です。
演劇さながら、場面転換の少ない長回しシーンが多く、会話劇で物語が展開します。
メインキャストは、ほぼ舞台版の方を登用したそうなので、役作りも完璧。
でもまあ、その中でも特筆すべきは、ローダ役のパティ・マコーマックでしょうか。
実年齢8歳のときにこの役を演じた、というだけでもスゴイっす。
(芦田愛菜ちゃんには無理でしょう。というかやらせるなよ!!!)
それと、リロイ役のヘンリー・ジョーンズ。
DVD特典映像で見た彼の風貌が米国紳士そのもので、180度違う印象の役を見事に演じていました。

さて。

私がこの作品に興味を持ったのは、やはり少年犯罪もの(とりわけサイコパス絡むと大好物。)だからですが、
町山さんが、酒鬼薔薇事件との関連性(直接というより、巡り巡ってという感じですが)を指摘していて、
俄然、興味が沸いた次第です。

※物凄く個人的な話ですが、酒鬼薔薇事件は何だかとても興味があって
名称が出てくるだけで、無条件にスルー出来ないんです。変な思い入れというか、何故かはよく分かりませんが。


また、上記関連性の部分も然りですが、、
「ヘイズ・コード」の影響で改変された結末部分、というのも非常に気になってしまい、
結局のところ、映画作品としての関心よりも、
作品にまつわる事情とか背景の方に惹かれて鑑賞したかたちになりました。


とりあえず、感想。

面白いのですが、舞台色が強いが故に芝居がかっているのでフィクション感が強いです。
だけど、ヘイズ・コードの影響を考えると、このフィクション感も監督の狙いなんだろうな、と。
もしかしたら、それは本意ではなかったかもしれないのだけれどね。

恐らく原作がよく出来ているのだと思います。

ローダという8歳の少女が出来る範囲での犯罪の描写が、シンプル且つ絶妙です。
ある物が欲しいという"動機"と、それを手に入れるために標的を殺す、という"方法"。
殺人ことに対して罪の意識がないから、
欲求に対しての行動として、"食べる"とか"寝る"とかと同じテンションで"殺す"わけです。

あと、8歳という年齢。
人の生死と向き合うには若干早いかな、という印象ですが、でも実行出来ちゃう知能は備わってますよね。
私達が認識している「人を殺してはいけない」という意識って、
成長過程のどこかで自然に芽生えるというよりは、周囲に教えられて認識するような気がします。
それも「何故ダメなのか」ということを理屈として考え始めるよりもずっと前に。
(「何故殺してはいけないのか」っていう質問に対して、自分の回答が正しい、という自信が私にはないんですが。)
8歳のローダは優等生であったが故に、その辺の教育課程がすっ飛ばされたのかなと。
(もちろん、親の教育不十分だとかもあるのだけどね。しっかり教育しとけやと。)
加えて、遺伝という(これも若干パワープレイと言えなくもないけど)要素が後押しして、
ローダという1人の幼いサイコパスが完成されてしまった訳ですよね。

そう考えると、設定自体にはリアリティが出てくるので怖い。。。

だからこそ、この設定を「いかに現実離れさせるか」というのが、
ヘイズ・コード下のアメリカでこの映画を公開にこぎつける条件であり、
結果的に、全編通しての演劇的な(端的に言うとオーバーアクションな)演出や、
原作と異なる結末、に繋がったのかな、と思いました。
(断っておきますが、私は演劇も大好きな人間なので、オーバーアクションに偏見はないです。)

ちなみに演劇的な演出の話で言うと、リロイの登場シーンがいちいち面白いです。
「リ・ロ〜イ。(和訳:リロイです)」と、ノックも呼び鈴もなしで入ってくるんですよ。
(↑文字だとあんまり伝わらないなー、残念。)
一応本編で説明されてるけど、自分の名前を言って登場するとかちょっと間の抜けた感じで笑えます。
リロイ自体は極悪キャラなんだけどね。


ちなみに結末の改変について。

そりゃまあ、絶賛されている原作小説の方が良いに決まってるよね。
以下、簡単に説明。

【原作】
無理心中失敗で、重症・失意の母+作戦成功で満面の笑みの娘。
→この後、絶対に母親を殺そうとするよね、と予想できる完全なバッドエンド。
【映画】
無理心中失敗後、娘はメダルを我が物にするため嵐の夜に1人で出かけ、落雷で死亡。
+ 舞台さながらのキャストによるカーテンコールと、母が「悪い子ね!」と娘のお尻を叩くという間の抜けたシーン。
→悪が勝ったまま終わることを避けたという、無理やりなハッピーエンド??

カーテンコールがなくても、"悪は裁かれるべき"という主旨は十分に伝わると思うのだけれど、
こんなにもあからさまに「これはフィクションですよ〜」感を出したところを見ると、
ヘイズ・コードって本当に厳しい規制だったんですね。まあ、だからこそ廃止されたんでしょうが。


道徳的か否か(それこそがヘイズ・コードの目的であり、規制対象基準だったようですが)と問われれば、
全然、道徳的な映画ではないです、本作。
反面教師的な意味でなら或いは、というところでしょうか。

現在ならば、リアリティ重視でリメイクすることも可能でしょうが、
そもそも当時とは文化も違うし、変にいじるのも難しいかなと。
『死の天使レイチェル』というリメイクが、あまり話題になってないところを見ると、
衝撃度も完成度も『悪い種子』には適わなかったんでしょうね。

少年犯罪もの、幼きサイコパスもの、というジャンルはコレが最初ではないのでしょうが、
遡って鑑賞したら、面白そうだな、と思いました。(出たよ、悪趣味が。)
ちなみにマーヴィン・ルロイ監督は、時代を先取りした題材への嗅覚も優れていたようなので、
彼の作品を辿ってみるのもまた面白いかも。
ちょっと探してみようっと。

posted by tanako at 09:48| Comment(0) | クラシック洋画キャンペーン。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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